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2018年07月17日
沼の婆さん
沼の婆さん
昔、麻機遊水池の辺りは大きな沼(注)だったそうです。あさはた沼にまつわる悲しい話し「沼の婆さん」が伝えられている。
流通センターとヘリポートとの境の小高い所にある諏訪神社に、その云われについての看板がある。
『鎌倉時代の終わり頃、お婆さんと孫娘が暮らしていた。お婆さんが病気になったので、孫娘は、回復を願掛けし、沼を渡り浅間神社に通っていた。その途中で河童に沼に引きづり込まれてしまった。それを聞いたお婆さんは、沼に飛び込み龍となって河童を退治した。その翌年から、沼には法起草が育ち、村人はその根を掘って食糧にして大いに助かった。村人たちは感謝し、お婆さんの霊を諏訪神社に祀っている。』
(注)約2万年前の最終氷河期が終わった頃から地球が温暖化し始めた。日本では縄文時代の約6,000年前頃、内陸の奥深くまで海である地形であった。海抜4~6mくらいまで海が入り込んでいたといわれている。麻機低地も清水から入江が延びていた。その後、沖積平野の堆積などや隆起などにより海岸線が後退し、現在の地形となった。
【縄文海進の地図】 byまつもとよ
昔、麻機遊水池の辺りは大きな沼(注)だったそうです。あさはた沼にまつわる悲しい話し「沼の婆さん」が伝えられている。
流通センターとヘリポートとの境の小高い所にある諏訪神社に、その云われについての看板がある。
『鎌倉時代の終わり頃、お婆さんと孫娘が暮らしていた。お婆さんが病気になったので、孫娘は、回復を願掛けし、沼を渡り浅間神社に通っていた。その途中で河童に沼に引きづり込まれてしまった。それを聞いたお婆さんは、沼に飛び込み龍となって河童を退治した。その翌年から、沼には法起草が育ち、村人はその根を掘って食糧にして大いに助かった。村人たちは感謝し、お婆さんの霊を諏訪神社に祀っている。』
(注)約2万年前の最終氷河期が終わった頃から地球が温暖化し始めた。日本では縄文時代の約6,000年前頃、内陸の奥深くまで海である地形であった。海抜4~6mくらいまで海が入り込んでいたといわれている。麻機低地も清水から入江が延びていた。その後、沖積平野の堆積などや隆起などにより海岸線が後退し、現在の地形となった。
【縄文海進の地図】 byまつもとよ
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ものすごい資料、情報ですね。
歴史や地理の知識が豊かになります。
ありがとうございます。
沼のばあさんのお話し聞いたことがあります。いい話ですね。
こんどそばに行ったら、写真に書かれてあることを見てみたいです。