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2021年08月03日

朝鮮通信使と日韓関係

会報平成29年10月(第3号)に、練習会で薩埵峠を越えて由比まで走ったことが載っている。
『清見寺(清水区興津)は、江戸時代に朝鮮通信使の接待が行われた。広島県の鞆の浦、岡山県の牛窓でも接待が行われた。いずれの地も山が海に迫っている名勝地です。』
朝鮮通信使は将軍の代替わりなどの際に、幕府の招き応じて来訪した外交使節団である。総勢400人~500人の大編成であり、幕末の1811年まで12回あった。
経路は、漢城(ソウル)から釜山を経て対馬へ、下関、兵庫などに寄港し大阪で下船する。川船にて淀川を京都伏見に、ここから陸路で京に入る。中山道を彦根、関ヶ原を通って大垣、羽島へ、揖斐川・長良川・木曽川を渡り熱田から東海道を江戸への約2か月半におよぶ旅程である。
木曽三川は船橋を架けるなど破格の待遇で、道中における昼食や休憩、宿泊などの接待は、その地の藩などの役割であった。つまり無銭旅行である。
通信使の正使と副使や随行の官僚などは各地の知識人と文化交流を行った。彼らが書き残したものには、日本の技術、暮らし振りや街並みを羨望する記録も残されている。
李氏朝鮮は儒教思想と両班(りゃんばん)が支配する強固な身分制度に基づき、極めて硬直的な国家体制であり、農業商工業の発展や社会の変革が阻害されていた。
明治時代の旅行家イザベラバードは朝鮮紀行に、みすぼらしい家々、不潔な生活環境、前近代的な農業などを冷徹に観察している。反面では、両班の顔立ちや見栄えの良さ、体格の立派さを記している。確かにサッカー男子の体格は、身長、体躯、筋肉、足の速さ、どれもが日本選手を上回っているように見える。
 朝鮮から見れば日本は幾度となく来襲する夷狄である。朝鮮半島に百済・新羅・加羅任那(みまな)・高句麗の国々があった倭の五王の時代に既に出兵している。4世紀に大和政権が出兵している。天智天皇の代に白村江で唐・新羅連合軍と戦い大敗する。室町時代、倭寇が朝鮮や中国沿岸部において略奪等を行った。16世紀後半、豊臣秀吉が6年に及び2度出兵し、朝鮮の人々に日本への恨みを残した。明治8年(1875)に軍艦が江華島を砲撃し軍による侵略を進める。明治43年(1910)に日韓併合を行い、敗戦まで35年間植民地とした。日本は「武」の国、朝鮮は「恨」の国である。
未来志向の新たな日韓関係などは、いつまでも反日である限り、画餅に過ぎない。
by まつ もとよ
【両班の服装:韓ドラ映像より】
朝鮮通信使と日韓関係


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Posted by ゴールドランナー  at 16:41 │Comments(0)読者のつぶやき、ルポ、etc

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