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2021年03月08日

びわ湖マラソン日本新記録・強かった瀬古

2月28日に行われた「第76回びわ湖マラソン」において、鈴木健吾(富士通・神奈川大出)が2時間4分56秒の日本新記録で優勝した。
ここ3年の日本記録の更新は、一昨年の東京で設楽悠太が2時間6分11秒(約16年ぶりに5秒更新)、シカゴで大迫傑、さらに昨年の東京マラソンで大迫傑が2時間5分29秒と日本人初の5分台でした。今大会では日本人初の4分台です。
大会の気象条件も良くサブテン(10分を切る)は42人、うち6分台が4人・7分台が10人です。昨年の東京でも日本人選手がサブテン19人、6分台2人・7分台7人と、男子マラソンの選手層が厚くなってきた。しかし、まだ世界のレベルには遠い。
 約40年前、世界歴代10傑に瀬古利彦3位、宗猛5位、宗茂8位と黄金時代があった。
1983年12月の福岡は、6選手がサブテンを記録した世界初の高速レースでした。残り100mを中距離選手のようなスピードで競り勝った瀬古が優勝し、3位に宗茂、4位に宗猛、6位に伊藤と4人が日本でした。
 現在、瀬古利彦氏は日本陸連マラソン強化リーダーであり、オリンピック代表選手の選考であるグランドチャンピオンスラム大会の成功、4回の日本新記録、若手の躍進に内心ほくそ笑んでいるだろう。リーダーとして東京・パリと好結果を残せそうだ。しかし、選手としては2度のオリンピックに出場したが惨敗であった。
幻の代表であった瀬古と宗兄弟が、1980年モスクワオリンピック(日本など西側諸国が不参加)に出場していれば、金メダルと誰もが思うほど3手は世界最強(注1)であった。
特に、瀬古選手は圧倒的に強かった。15回のマラソンで10回優勝し、勝てなかったのは、2度のオリンピックと大学生のときの3回(注2)だけでした。
1980(昭和55)年台に、駅伝や10㎞からフルマラソンまでの大会へ記録狙いで出ていた私は、駿府マラソンで瀬古、富士宮白糸駅伝で宗兄弟と一緒に走ったことがある。もちろんズーと後ろですが。byまつ もとよ
(注1)瀬古は、モスクワ・金メダルのチェルピンスキー(東独)に、1980年12月福岡で勝ち(2時間9分45秒・当時世界歴代8位)、1981年月青梅30kではモスクワ銀の選手に圧勝した(1時間29分32秒: 25年間も世界№1の記録)。1983年東京読売国際で2時間08分38秒の日本記録(世界歴代3位)を出した。
(注2)2度のオリンピック(ロス14位・ソウル9位)と早稲田大学生時の3回(1年初戦福岡5位・2年2回目福岡2位・4年シカゴ2位)。
【日本新記録の鈴木健吾】
びわ湖マラソン日本新記録・強かった瀬古


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Posted by ゴールドランナー  at 14:52 │Comments(0)読者のつぶやき、ルポ、etc

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