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2021年03月16日

マラソンのメダリストと瀬古選手

オリンピックのマラソンの日本人メダルリストは、男子3名、女子3名である。
このうち記憶と歴史に残るのは、1964年東京大会の銅・円谷幸吉(つぶらや)、2000年シドニー大会の陸上女子初の金・高橋尚子(なおこ)でしょう。
年輩の方々が、もっと鮮烈に記憶しているのは瀬古選手だと思う。
瀬古選手は、きれいなフォームで涼しい顔をして先頭の後ろに付き、最後に抜き去るというレース展開であった。『スタミナ(注1)とスピード(注2)を兼ね備え、最後の400mを中距離選手のように走れる。』と、指導した中村監督は言っていた。
早稲田大学1年でマラソンデビュー、2年福岡5位、3年福岡優勝(当時世界歴代10位)、1979年4月ボストン2位(世界9位)の後、83年まで出場した5大会全てで優勝した。
当時は、福岡とボストンが世界の強豪が出場する大会であったが、瀬古選手は異次元の走りでした。
[5大会…79年福岡・80年福岡(世界8位)・81年ボストン(世界5位)・83年2月東京(世界3位)・83年福岡(世界6位)]
絶頂期にありながら、1980年モスクワ・国が参加せず、84年ロス・体調不良で失速し14位とメダルに手が届かなかった。「判官びいき」のような気持ちが残った。
ロスでの惨敗、度重なる怪我、中村監督の不慮の死を乗り越えて、ロンドン、シカゴ、ボストンと3大会連続で優勝し、強い瀬古選手が戻ってきた。
しかし、ケガのため福岡に出場できず、翌年3月びわ湖にかろうじて間に合わせて優勝し(通算10回)、ソウル代表に選ばれた(注3)。88年10月ソウル大会9位を最後に引退した(32才)。
引退後、瀬古利彦氏は明るいキャラの解説者に、増田明美さんとの絶妙なトークは全然噛み合っていない漫才をやっているようだった。 byまつもとよ
(注1)スタミナ…高校3年生、インターハイで800m・1500m・5000mの3種目に出場し、予選・準決勝・決勝を2日間で走り、800mと1500mを優勝し、5000m2位と超人的でした。
2年生、三重インターハイで800mと1500mを優勝。国体では2年生・3年生で1500m・5000mの2種目を連覇している。
予選から決勝と何本も走るスタミナと挑戦する気力がすごい、素材も超一級なので潰れない。
(注2)スピード…全国高校駅伝では1区を3年連続で走り、2年生で区間賞。箱根駅伝では花の2区を4年連続で走り、3年・4年と区間新。1万メートルの日本新記録を出している。
(注3)当時は福岡での一発選考であったが、このときは2名を内定し1枠を残しておき、福岡4位の記録を下回った瀬古が代表となった。不明瞭な選考基準が物議をかもした。
【左から、伊藤国光(鐘紡)、瀬古利彦(エスビー食品)、宗猛(旭化成)】
マラソンのメダリストと瀬古選手


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Posted by ゴールドランナー  at 18:42 │Comments(0)読者のつぶやき、ルポ、etc

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