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2021年07月27日

親不知子不知

 しずおかランニングクラブを立ち上げてから4年が過ぎた。今までの会報(~第49号)に書かれた雑感などに関連することについて、週に1回ほど記載してみる。
平成29年9月(第2号)、『薩埵峠は、大崩海岸のように山が海に迫っている断崖絶壁、波にさらわれない様に荒磯を駆け抜ける東海道の難所だった。』
日本海側の親不知子不知は、薩埵峠と同じような地形である。陥没地帯フォッサマグナの西側の境界である糸魚川―静岡構造線(注1)がこの付近を通っている。フォッサマグナとは、「大きな溝」というラテン語である。
 古来から、親不知子不知は北陸道の最大の難所である。約900年前、源義経は山伏姿に身をやつしここを超えて奥州へ落ちのびていった。平泉の藤原秀衡の館までの間、新潟と山形の県境にもう一つの難所鼠ヶ関(ねずがせき)がある。歌舞伎の勧進帳(注2)では、加賀の国安宅の関(あたかのせき)の出来事としている。
安宅の関がある石川県小松市では、祭りの曳山を舞台に子どもたちが歌舞伎を演ずる。「勧進帳」も演目にあるのだろう。義経は栄枯盛衰、弁慶は忠義、富樫は情あるいは仁(仁愛・思いやり)の心を感じる情操教育の場である。我が国の優れた芸能である歌舞伎を、若い力が永続的に伝えていくことを願う。 by まつ もとよ
(注1)地球地殻のプレート理論によればユーラシアプレートと北アメリカプレートが日本列島の直下でぶつかっており、それによって本州が曲がっている。東側の境界は柏崎―千葉構造線と新発田―小出構造線のふたつの断層とされている。
(注2)関守の富樫(とがし)に勧進帳を読めと迫られ、弁慶が偽の巻物を広げて読む。しかし、富樫は義経一行と疑う。そのとき、弁慶はお前がいるから疑われると義経を金剛杖で打つ。富樫は気付きながら主君を思う弁慶の忠義に心打たれ、情と理のはざまに立つ。結局は武士の情けにより義経一行を通す。
【親不知子不知】
親不知子不知



Posted by ゴールドランナー  at 14:39 │Comments(0)

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