CATEGORY:Green Tea
2018年01月26日
西郷隆盛さんの生き方
西郷隆盛さんの生き方
今もってよくわからない。銅像が上野に建っていることです。先日も書いたように、
西南戦争では新政府軍の官軍に対し薩軍の首領として戦いました。いわば賊軍なのです。
普通でいうと、国に逆らっているので東京のど真ん中に銅像なんてできないですよね。
ところが隆盛の自害の12年後、政府は罪を許して正三位の位階を贈り銅像も建てた。
なぜなのか?ものの本によると、ーーそれは西郷による「武士道精神」を失った明治
政府への反抗だったかもしれない。政府の急速な欧化政策は、隆盛が幕末に目指していた
ものとは違っていた。日本人の本来の心がなくなっていた。
西南戦争では隆盛の思想信奉者の30,000人が決起し、自軍の6,800人が戦死しています。
多大な犠牲があった。がが、、、その後に見直されたのです。
政府も天皇も、あとになって隆盛の思想と功績を認めてくれたのか?もしれない。
RUN情報ーー次のМ大会は2/11の牧之原マラソンです。田沼意次マラソンとも言います。
毎日のように大会の走りをimageーtrainingしながらランしています。
「 西郷を 本読んでみて 見直した 」Green Tea
写真は、前に行った伊賀上野城です。三層の白く美しい城でした。
今もってよくわからない。銅像が上野に建っていることです。先日も書いたように、
西南戦争では新政府軍の官軍に対し薩軍の首領として戦いました。いわば賊軍なのです。
普通でいうと、国に逆らっているので東京のど真ん中に銅像なんてできないですよね。
ところが隆盛の自害の12年後、政府は罪を許して正三位の位階を贈り銅像も建てた。
なぜなのか?ものの本によると、ーーそれは西郷による「武士道精神」を失った明治
政府への反抗だったかもしれない。政府の急速な欧化政策は、隆盛が幕末に目指していた
ものとは違っていた。日本人の本来の心がなくなっていた。
西南戦争では隆盛の思想信奉者の30,000人が決起し、自軍の6,800人が戦死しています。
多大な犠牲があった。がが、、、その後に見直されたのです。
政府も天皇も、あとになって隆盛の思想と功績を認めてくれたのか?もしれない。
RUN情報ーー次のМ大会は2/11の牧之原マラソンです。田沼意次マラソンとも言います。
毎日のように大会の走りをimageーtrainingしながらランしています。
「 西郷を 本読んでみて 見直した 」Green Tea
写真は、前に行った伊賀上野城です。三層の白く美しい城でした。
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